「……はぅ」
虹河原高校2−A組。
校舎2階、窓側最後方の席。
私、紫原紀子は溜息を吐いた。
手元には絵柄の付いた札。
タロットカードと呼ばれる物だ。
正位置、悪魔。束縛と悪循環。
正位置、死神。活動停止、忍耐。
逆位置、吊るされた男。徒労と焦燥。
逆位置、運命の輪。衰退する運気。
正位置、月。不安や不信感。
と、あくまでも大まかな解釈だけれど……
どうにも良い札が並ばない。
私は占い師のプロではない。
しかし3度繰り返して、悪魔、死神、月が並ぶ。
ここまで来るともう、偶然というレベルではないだろう。
運気が、良くない。
私の事ではないが。
しかし、私と因縁浅からぬ彼だ。
私はそこに、どう巻き込まれていくのか。
どうしても懸念が浮かぶ。
全ての始まりは、あの少女が来た事にあった。
〜Boy Meets Worse〜
第4話 魔女たちの交差
(誰が彼を吊るすのか)
「ふぇーん! 啓人さん、助けてー!」
廊下からバタバタと駆け込んで来る、金髪碧眼の少女。
彼女が問題の少女である。
名前はキャサリン=ブラックフォード。通称ケイト。
1限目の授業開始時、担任・灰塚を通して紹介があった。
彼女は同級生・黒崎啓人の家の居候らしい。
どこからどう見ても外人。背丈は中学生ぐらい。
中学生ぐらい……だろうが今、この“高校”に来ている。
転入生、ではない。
ホームステイ仲介者の手落ち、もしくは詐欺か。
彼女自身、どうしてそうなったのか分からないらしい。
が、とにかく。この国に来た彼女を出迎える者は無かった。
路銀を失い頼る相手も無い中、彼女は黒崎家に辿り着いた。
黒崎啓人の姉は気の良い人物で、気の毒がったのだろう。
彼女の身元を一時的に預かる事になった。
授業開始前に、担任・灰塚を介して聞いた話。
内容は概ね、そんな所だ。
その気の毒な少女、ケイト。
オツムも少々、気の毒な出来だった。
何かとトラブルを起こしては、黒崎に助けを求めて来る。
「っだー、もー! 今度は何だよ!」
黒崎自身も姉同様に、生来、面倒見のいい男である。
不満たらたらに、しかし彼女の到来を待たずに腰を上げた。
彼女の言う事には、
「大変です! 一大事なのです!
お便所がお家と違って、流し方が分かりません!」
とても女の子が大声でする話題ではない。
周囲からクスクスと笑い声が上がる。
注目を集める相方に、黒崎啓人は疲れた声で、
「あー、大変だな……それで?」
「ここは是非とも一緒に来て、流し方を教えてください!」
「男が女子便所に入れるかッ!」
「はびゃあ!?」
上段からのハリセン一振り。
目の覚める様な一閃が、ケイトの頭を打った。
黒崎啓人、剣道2段。
1m前後で棒状の武器を扱わせると、これが上手い。
日常生活で、そんな必要は少ないだろうが。
彼は中学時代、剣道部員だった。
2年の時、現行制度の最短にて段位2段を取った凄腕。
朝礼で紹介されるもボイコット。
一時期話題になっていた。
『天才少年剣士はシャイボーイ』……嘘だ。
私は知っている。彼は動機が不純だった。
それでいて褒められる事に、彼は耐えられなかったのだ。
いつか蒸発した父親を見つけ出す。
そして、その手で息の根を止める。
彼が剣を手に取った理由はそれだ。
ともすれば荒唐無稽な話だが、彼は真剣だった。
そう、きっかけは不純。
それでもいつか、夢中になれたなら。
剣道家として大成して、いつか父親の事を忘れられたら。
それはそれで、良い事かも知れない。
私は事情を知るも、一先ず静観する事にしていた。
そんな未来も、母親の事故で断たれてしまったのだけれど。
そう、黒崎には、クラブ活動に時間を費やす余裕が無い。
父親が蒸発。母は交通事故で入院。
姉が高卒で働いて、どうにか暮らしている状態。
残る黒崎啓人も、負担を掛けまいと努力している。
アルバイトに勤しもうとも考えた。
しかし彼の姉は、彼を大学に進学させたい。
『女手一つでも、大学には行かせてあげたい』
これは彼の母の言だ。
意識不明の状態が続いている、母の。
ともすれば、最後の願いになるかも知れない言葉。
彼の姉は入試で失敗して断念……
いや、この失敗も、少なからず故意だったのではないか。
彼を大学に行かせる為、自分もまた働く為に。
その2人の思いを、無下には出来ないだろう。
彼は手を尽くし、一度は入試に挑まなければならない。
しかし当然ながら、進学すれば家計の負担は増える。
彼は大学入試、国公立・奨学金狙い。
それが失敗するなら、自身もまた働こうと。
塾へ行く資金すら無く、毎日独学で知識を深めている。
彼の成績は努力の甲斐もあり、学年1位をキープ。
しかし、うちの高校。それほど水準が高い訳ではない。
その中で1位だからと言って、世間でどこまで通用するか。
決して予断を許さない状況だ。
そんな状況に身を置いている彼、黒崎啓人。
その家庭に転がり込んだ少女ケイトは、少なからず障害だ。
ハリセンという手加減はあるが、苛立ちからか剣筋は鋭い。
その直撃を受けた少女は、目を丸くしてうろたえた。
「そっそそそういう物なのですか?」
「そっそそそういう物なのです、だ!」
一頻りケイトの動作を真似した上で、ビシッと指差す黒崎。
剣呑なハズの2人のやり取りは、もう漫才にしか見えない。
それを見て、私はどこか微笑ましく思えた。
本当に久しぶりだ。あの黒崎が感情を露にしている。
母の交通事故を境に、凍てついた様になっていた彼。
精神衛生的な面に限れば……
彼女の到来は、彼にとってプラスなのかも知れない。
学習環境が悪化したのもまた、間違いないのだが。
それはさておき、冷静になったのであろう。
黒崎は顔を上げて周囲を見回した。
状況として“後始末が終わっていない”のである。
そして現場は女子便所。
そこに黒崎啓人は立ち入れない以上。
助けを求めなければならない。
彼は助けになりそうな相手を探す。
最初に目が合ったのは……白川。
白川雪子だ。
「白……」
「私は忙しい」
黒崎が話し掛けるも、白川はプイと顔を背ける。
彼女は何をしている様子も無いのだが。
全く取りつく島も無い。
白川雪子。良家の令嬢で、気位の高い人物。
次期生徒会長とも囁かれる才女。
黒崎啓人と彼女は、学年成績1、2を争うライバル。
しかし、白川は良家の英才教育を受けている。
対し、黒崎は独学。
これには高慢な彼女も、一目置かざるを得なかった。
加えて、とある事件で助けられて以来。
少なくとも白川からの、黒崎への感情は好意的であった。
それがこうも余所余所しくなるのは……
いや、好意があればこそ、か。
白川はケイトに嫉妬しているのだろう。
その嫉妬の対象の為に、動きたくはあるまい。
『私の黒崎君に近付かないでっ!』
……だなんて、白川は口が裂けても言わないだろうが。
黒崎は白川の助力を諦める。
が、他に誰が居る。
思春期の男女の例に漏れず……か、どうかは知らないが。
男子生徒の頼みに、気さくに応じる女子生徒は少ない。
それでなくともケイトの美貌。
それに浮かれ上がっている男子の面々。
ケイトに対する女子の感情はよろしくない。
それでも動いてくれそうな者、となれば、
「紫原」
私か。確かに私は、彼と少なからず協力関係にある。
ここで動いたとしての風当りと、想定される見返り。
私は僅かばかり思索した後、席を立った。
「……1つ貸し」
「後で返す」
短く交わした言葉。
私はケイトを伴って教室を出た。
「そこまでしてポイント稼ぎぃ?
プライド無いのかねー」
「従順ぶっちゃって、何のアピールだか」
「だってあいつ魔女だしぃ?
怪しいモノ同士、気が合うんじゃない?」
途中、何か不快な囁きを幾つか聞いた気がした。
当然ながら、私は振り返らない。
こんな物、いつもの事、よくある事だ。
聞く耳を持たない者を相手に、反論は無意味。
私は無駄な事はしない。
「いっやー、助かりましたー。
こういったカラクリは、詳しくないものでしてー」
後始末を済ませてやると。
照れ笑いと共に頭を下げるケイト。
それなりに羞恥心はあるらしい。
……にしても、カラクリ?
時代錯誤的な言葉を使うものだ。
翻訳がおかしいのだろうか。
「次からは、自分で……」
「はいっ! ありがとうございます、親切な方!
ええと……」
「紫原よ。紫原紀子」
「シハラさん! このご恩は忘れません!」
ケイトは私の両手を掴むと、満面の笑みで言い放った。
……眩しい。
眩しいぐらいに素直な子だ。
少なくとも一見した限り、悪い子ではないだろう。
礼儀正しく、適度にアホっぽい。
計算するようにも見えない。
が、それ故に。
クラスの女子に溶け込むのも難しいか。
恋愛沙汰に傾倒し、日々駆け引きに明け暮れる。
そういった子が少なくはない校風。
その是非はともかくとして。
彼女らは、純真な存在を認めたくないだろう。
そして、そんな俗世に反発がある故に。
私は彼女の味方をしてみたくなった。
が、それを公言しては彼女が孤立する。
遠巻きに見守るのが筋だろう。
と、思っていたら、
「シハラさんッ! 是非是非、今後とも!
色々と、ご教授を〜」
早々に懐かれた。
私は極力渋い顔を作って返事を返す。
「それは……ダメ」
「えっ、どっ、どうしてですか!?
私、何か気に障る様な」
「違……」
言い掛けて、しまったと思った。
そういう事にしておけば良かったのだ。
「じゃあ……どして?」
首を傾げるケイト。
やはり突っ込んで来る。
しかし、真実を知られた場合……
私が村八分にされている、などと彼女が知った場合。
彼女はどう思い、どう行動するか。
心を痛めるか、首を突っ込んで来るか。
私は他の理由を考える。
年下の女の子が気に入りそうな。
納得してくれそうな理由……
「私は、その……魔女だから」
「私も魔女ですが」
胡乱な事を言ったつもりが、同じく胡乱な返答。
誰が、何だって? 困惑する私。
その思考も纏まらない内に、私は更なる奇襲を受けた。
「貴様ら、何の悪だくみをしている」
戻りが遅いのを不審に思ったのか。
様子を見に来たのは白川雪子だった。
黒崎に好意を寄せる彼女は、前々から私に目を付けている。
例えば中学時代。
“校舎裏の密会相手”と称されるウワサ。
私がイジメから逃げ隠れした先で。
彼が隠れて自主トレしていた。
手出しされ難かろうと、近場に居させて貰った。
その程度の話だ。
例えば高校に入ってから。
“喫茶店で談笑するカップル然とした姿”の目撃情報。
探し物を手伝った報酬に、スイーツを要求した程度の話だ。
そう、私と彼には接点が少なくない。
その細々としたエピソードを見聞きした結果だろう。
彼女、白川雪子は、私と彼の関係を訝しんでいる。
何をバカな、とは思う。
私がどうであれ、彼には色恋に気を回す余裕が無い。
例え、私が……どうであれ。
と、私と彼の関係性を、恋する乙女・白川に説いたとして。
簡単に納得しても、くれないだろうとは思う。
他人の話に耳を貸さない。
それが恋する乙女というものの、1つの姿である。
……メンドクサ。
私は彼女の問いに、そっけなく返事。
「別に何も」
「とぼけるな。そこな金髪小娘に何を聞いた。
どうせ2人して黒崎を、た、たらし込もうだとか」
「実はそういう貴女が、たらし込みたいの?」
「なっ! な、何を馬鹿な!」
「さっさと告っちゃえばいいのに。
派手なくせに奥手で困る」
「わわわ私は、そういうのではなく!
ただその……そ、そうだ、生徒会役員として。
男女のフシダラな関係を見過ごせぬというか何というか」
「……リアル・ツンデレとか、メンドクサいわよ?」
「っだ、誰がツンでデレか!」
詰問返し。主導権を握り返す問答。
同級生の嫌味を日々いなしてきた私にとって。
白川は与し易い部類に入る。
そのうろたえる白川を見て、
「ははぁー、分かりました!
シラカワさんは啓人さんを好いてらっしゃるのですね!」
驚いた。ケイト、一見ぽけーっとしているのに。
そういう話には敏感なのか。
いや、白川が分かり易過ぎるのか。
「ちっ、違っ! なななんでそんな話に!」
うろたえる白川……いや、何でって。
「またまたー、照れなくても。
では僭越ながら、お近づきの印に。
お2人が少しでも仲良くなれる様に。
魔法を1つ披露いたします」
また胡乱な言葉が出て来た。
私も占いが趣味とか大概ではあるが。
魔法だなんて、そこまでファンタジーじゃない。
しかしケイトが印を組み、何やら呪文を唱えると。
不意に、辺りに青白い光が集まって……
これは、何? 本当に……魔法?
と、目を見張る私達の背後で、唐突に何かが爆ぜた。
振り返ると、女子便所の壁……
廊下でなく外に面した方に、大穴が開いていた。
まるで何かが爆発した様な?
「……え、ちょ」
「なななな何だ貴様! 一体何をしたぁ!」
「や、やややや! 違うんです! こんなハズじゃあ!?」
呆気にとられた私。涙目で怒り出す白川。
ケイトまで混乱する中、“それ”は現れた。
「フフハハハハハハァ!
尻尾を出したな、キャサリン=ブラックフォード!
無思慮なアホウのくせに魔力を出し渋りおって!
お蔭で探知が遅れたわ!」
校舎脇の杉の木から、声。高笑い。
見ると、赤い衣装に身を包んだ少女が居た。
枝の上に腕を組んで立っていた。
赤い衣装……やたらフリルの食み出した、過剰装飾。
昔見た魔法少女だとか。
そういうアニメチックなデザインである。
ついでに頭には……耳? 違うか。
コウモリの羽みたいな物が、頭の左右に生えていた。
……何だ、これは。コスプレ?
白川がケイトに聞く。
「知り合いか? 名前を呼んだが」
「ああっ、あいつは!
…………はて? 誰でしたっけ」
「ふ、ふっ……フザケルナァァァ!!」
赤い少女の激昂と共に、落雷。
再びの爆音、壁にまた1つ穴が開く。
雷を使う魔法使い、とでも言うのだろうか。
って、そんな馬鹿な。
いや、でも、さっきの光、ケイトの呪文は……
居合わせた誰もが困惑する中。
私達の日常は、音を立てて壊れ始めた。
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